コラム

  • 私は文学部哲学コースというところで十年と少しの歳月を過ごしました。当然、そこには哲学に興味のある人達がゴロゴロといて、彼らは哲学の本を読むことに少しの抵抗も持っていませんでした。哲学コースの若い思想家たちは、みな一人で難解な本を読み、一人で哲学的な真理に至れる、という無根拠な自信を持っていたように思います。

    そんな勇み足の学生たちに、ある教員は大切な教訓を与えてくれました。「哲学の本を読むのは一人でもできる、しかし、「哲学すること」は一人ではできない」というのです。この言葉の意味を知りたい、心の底から理解できるようになりたい。この目標のために、この先生の言葉を心の中で反芻する日々が今日まで続いています。

    後に分かったことですが、この教員はイマヌエル・カントを研究しており、上の言葉もカントが『純粋理性批判』に残した一文を、少しかみ砕いたものでした。

    ひとは[…]だんじて哲学を学ぶことはかなわない(学ばれるのであれば、歴史的なものとなるだろう)。むしろ理性についていえば、せいぜいただ哲学すること(philosophieren)を学びうるだけである。(A837/B865)

    簡単に言えば、私たちが哲学について本を読むことで到達できるのは、哲学の歴史を学ぶことだけなのです。本当に学ぶべきは、名詞としての哲学ではなく、「哲学する」という動詞形の在り方なのです。

    では、なぜ私は哲学の「本」をみなさんと読むのでしょうか。理由は二つあります。

    第一に、私たちは「哲学する」準備のために、哲学の歴史を学ぶ必要があります。ひょんなことから、私は哲学の歴史を学んできました。したがって、私は哲学の図書に何が書いてあるか、その背景にどんな歴史があったのかを知りたいとき、水先案内人になれるわけです。同時に、案内をすることで、自分にとってどこが不慣れな領域なのかを自覚することもできます。これは私にとっても大切なフィードバックとなります。

    第二に、私の考える「哲学すること」とは、優れて対話的なプロセスを通して育まれるものです。カントにとっても、哲学することとは、自分の理性が生まれながらもっている才能としての哲学力を、訓練をしていくことを意味しています。この訓練のためには、自分の理性を用いて考えるだけではなく、他者の立場から考えることが重要です。つまり、哲学する力を鍛えるには、一人で椅子に座って本を読んでいてはダメなのです。「書を捨てて街に出よ」といったデカルトは、真に哲学的な人物だったのです。

    しかしそれは、哲学者と対話するだけでは不充分です。というのも、哲学者は考える「仕組み」あるいは「構造」を共有していることがあるからです。哲学のジャーゴンに頼ってしまうと、その会話は同質的で閉塞的なものに成り下がってしまいます。哲学は自分の思考の限界を超えて思考することを目指します。したがって、本当の哲学に近づくためには「徹底的に別の目線」と触れ合うことが不可欠なのです。

    私は大学や国から哲学の専門家としてお給金をいただく立場にあります。しかし、それはあくまでも、この資本主義経済の社会のなかで命をつなぐために必要な態度であって、私が哲学のプロだからではありません。私は哲学のアマチュアであり続けねばならないのです。その決意をもって、私は哲学の古典を様々な人と読むことを選びました。つまり、「書をもって街に出た」のです。

    ひょっとすると哲学することとは一輪車で走っていくようなものなのかもしれません、走っていないと倒れてしまう。でも、一輪車ですから、走れていてもフラフラとしているのでしょう。しかし、もし一人でないのであればどうでしょうか。誰かと手をつないで走ることができるなら、タンデムを組めるならどうでしょうか。きっと彼らの歩みは、より確実で、より安定することでしょう。

    読書会のなかで、様々な眼差しのもとで一つの本を読むこと、それは私にとって終わらない修行の旅そのものです。同時に、ともに読む人々は、旅路で出会った貴重な知人であり、旅の友であるように思います。いましばらく、この旅路におつきあいください。

    冬の終わりが近づくころ

  • 「人類学読書会」がはじまって約3年。5冊の本を読んできた。中でも、もっとも難解だったのは、マリリン・ストラザーン『部分的つながり』である。人類学者に、哲学者やデザイナー、看護師、医者、会計士、弁護士、農に従事している人、工学者などが集まる読書会でストラザーンを読んでいるのだ、と話すと「難しいでしょう?大丈夫?」というような反応をもらう。実際、一筋縄ではいかない複雑な文章を前に何度も立ち止まることになった。たびたび原文(英語)に戻り、人類学の背景知識やメラネシアのイメージを確認しながら進んだ。周囲にも、なんならネイティブを含む欧米圏の年配の学者にも、ストラザーンの書籍を読むのを途中でやめてしまったという人は少なくない。音読しながら少しずつ進む、わからなくても、刺激的な言葉をひろいながら最後まで読むという経験は、この読書会のひとつの能力であると思った。

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    人類学者が書く民族誌は、長らく遠くの国の文化や社会のありように焦点を当ててきた。それは、「自文化」の当たり前をゆさぶる異化装置でもあった。しかし、丁寧に民族誌を読む時、わたしたちの糧となるのは、その素朴さであることもある。

    3年間の読書を振り返ってみると、その中心にはアネマリー・モルの本があった。『多としての身体』『ケアのロジック』『食べる』を読み、それぞれの参加者が、それぞれの仕方でモルの「実践誌」に影響を受けた。モルがそのルーツをもつ哲学と医学の領域を専門とするメンバーはもちろん、疾病、ケア、食は誰にとっても身近なものだ。病院で造影検査を受ける時、スーパーで食材の産地を確認する時、誰かのために食事を作る時、学生に講義をする時、そして、病院で患者さんに相対する時、わたしたちは、そこにあった言葉を思い出す。ある時、看護師のメンバーが「看護の現場で当たり前に起きていることを書いている」と言った。私はこれが、民族誌のもっとも重要な素朴さなのだと思った。民族誌ができることのひとつは、その「当たり前」を見つめ、異化し、その上で実践を後押しすることだろう。

    現在読んでいる『ボディ・サイレント』もまた、私たちの素朴な日常を考えるための言葉を与える。著者のロバート・マーフィーは50代で脊髄に腫瘍ができたことがきっかけで、徐々に四肢が麻痺していくという病いを経験した。十数年にわたって障害者となっていく、そのプロセスを民族誌として書いたのがこの本である。自身の身体の変化、それとともに変わっていく環境、周囲の人たちの変化を「新しいフィールドワーク」として書くオート(セルフ)エスノグラフィで、私たちは、音読しながら、マーフィーの「生きる」日々を追体験する。

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    『食べる』は、読書会の最中に水声社から訳書が出版され、タイミングよくモルさんが来日する時期にあたった。モルさんに、人類学者は私だけで、多彩なメンバーとともに『食べる』を読んでいるのだ、と話すと、書いている時にそんなことは予想していなかった、驚いた、と言う。しかし、現場から生まれた人類学の書籍は、今まさに現場で生きる人々に響く。「言葉を探しにきている」―肺呼吸器内科で務めるメンバーは、言った。人類学読書会は、わたしたちが、日常を生きやすくするための言葉を発見し、日常にすこしのインスピレーションを与える場として、小さく続けられている。

  • 日常があり、日常的な思考がある。哲学があり、哲学的な思考がある。なぜ哲学があるのか。この問いには、なぜ日常的な思考では十分ではないかを示すことなしには、答えることができない。

    都市と農村の日常は同じではない。コンサルタントの日常と農家の日常、医者の日常と弁護士の日常、哲学者の日常と人類学者の日常も同じではない。それゆえ、同じ哲学書を読んでいても、各人がそこから引き出すものは、各人の生における日常性の違いに応じて、異なる。というかそもそも、各人は各人なりに自らの日常をすでにうまくやっているように見える。そうであるにもかかわらず、いつ日常的な思考では十分ではなくなるというのか。

    それは、私の経験に限って言えば、日常が耐えねばならぬものに変わったときである。日常を耐えねばならぬものと感じた瞬間、そう考えてしまった瞬間、そのときもはや日常的な思考では十分ではない。

    日常の強制力を受苦するとき、それはいかなる形態、いかなる程度であれ、当人にとっての暴力となる。日常から暴力を受けるとき、日常的な思考では十分ではない、いや正確に言えば、もはや十分かどうかという話ではない。というのも、そのとき日常的な思考は、当人にとってはその暴力に耐えることを推奨してくるコンサルタント(相談相手)だからである。日常からの暴力に晒されているとき、もはや日常的な思考に相談することはほとんど役に立たない。その思考は、耐えがたい日常を維持するように促すものである。

    したがって、もし当人が耐えがたいと感じ、考えたところの自らの日常から抜け出すことを欲するならば、そのとき、別の相談相手が必要となる。それまでの日常および日常的な思考の側からすれば、破壊的な別の思考が必要となる。

    いまの日常から抜け出すこととは、それを形作っている習慣を変えることをも含む。一挙にすべてを変えることも、過ぎ去ったことを変えることもできない。変えることができるのは、この現在の行動のみである。日常から抜け出すこととは、つまるところ、現在の行動をこれまで従ってきた習慣から訣別させるよう、新たな秩序に従わせることである。では、哲学はそれにどれほど役立つのだろうか。例えば、小説やドラマ、映画などの諸芸術と比較した際にどんな利点があるのだろうか。

  • 読書会に参加し始めて早3年。これまで木曜日の夜や金曜日の早朝など多い時は週に3回以上、日中の仕事以上に準備や振返りに時間を費やしつつ、様々な本や人に出会って参りました。 

    読書会参加の契機となったのは3年前、パンデミックの只中、当時人っこ1人見当たらない京都の地で人と話をすることを心身が欲していた事が要因のひとつだったのですが、今では人で溢れかえった古都から少し離れて物事を捉え直すための機会として、読書会が存在しているように感じます。 

    CaSLAの読書会は4つの分科会/道筋があり、それぞれガイド/シェルパとなる人と共に、それぞれのスタイル/歩幅で本を読み進めていきます。主に参加しているスピノザ哲学の読書会では、スピノザと佐々木さんに共通する、真に利己的である事が利他的でもあることを一語一語の重みと共に感覚しながら進みます。人類学の読書会では、ストラザーンやモルのテクスト、そしてガイドの北川さん自身の当事者的視座と俯瞰的視点を織り交ぜながら、地図を見ながら歩くような感覚でもって、またカント哲学読書会には参加できていないものの、同読書会ガイドの繁田さんが現代学術教養の会で主催していたネーゲルの「どこでもないところからの眺め」読書回で出会い、その物腰の柔らかさの奥に潜むカントの力強さと共に歩んでいきました。各分科会が異なる道を違う速度で歩み進めるものの、時に道中でバッタリと出会い、また離れ離れになっていくことも、複数の読書会に参加する醍醐味です。

    そういえば最近、人類学読書会の参加メンバーに「男はつらいよ」を愛してやまないという奇特な方がいて、彼女の影響で寅次郎愛が再燃、2週間で全48作を観るに至ったわけですが、読書会参加以前の観照とは違う仕方で、「究極のマニエリズムのようで、実は登場人物と共に生きる技術的対象が変質していくことがアーカイヴ化されている考古学的資料なのだな」とか、「どんどんつらくなっていくのは妹のさくらなのだな」とか、これまでとは異なる物事が見えてくるもんだから不思議です。次いで言えば、この3年でコーヒーの飲み方(舌の感じ方)や淹れ方(手順や速度)にも変化があって、本を読むこと、映像を観ること、コーヒーを飲むことはそれぞれ異なる動作ですが、それぞれがこれまでと違う仕方で感覚するようになっているという点で共通していて、それは読書会への参加を通して、日々を生きる技術が共鳴しながら変化している、ということだと思います。 

    そんなCaSLAの読書会から派生する新たな取り組みとして、「デザインの現在」と題した研究会を始めることになりました。身近なようでいて、どこか掴みどころのないデザイン。自分自身京都のとある芸術大学の教員という1面を持って生活してはいるものの、もともと学術的にデザインや芸術を研究した来たわけでもなく、教育機関で働くことに強い興味関心があったわけでもない、たまたまデザインと呼ばれるような仕事で生き、実務家教員なるポジションで大学に浮遊してきた根無草なわけで、気づけば商業に関わるデザインの実践やアカデミックな場でのデザインの理論、それらのどちらにも違和感を感じる逸れもの、つまり旅暮らしを続ける事にも柴又の町で生きる事にもコミット出来ない、車寅次郎のような自己を発見します。

    このまま浮び漂うのもまた一興ですが、読書会への参加を通して、偶然出会ったデザインを自分自身にとっての必然に変化させたい、一般的なデザインの言説とは異なっても自分や周囲の関わる人やものにとってアクチュアルなデザインのイメージをつくり出したい、生涯を通して教育に関わりたい、そういう動機が生まれてきました。同研究会に共に参加するメンバーと共に、京都の地の、野中の一本杉になることを目指して進めていきますので、以後見苦しき面体お見知りおかれまして、恐惶万端引き立って、宜しくお頼み申します。